モンクットに続き王になったチュラーロンコーン(ラーマ5世、1853年 - 1910年)はチャクリー改革によって中央集権を確立したが、国の拡大に伴いタイ全土のサンガを管理する必要が出てきた。チュラーロンコーンはサンガ法(1902年)によってそれまで単なる僧の集まりであったサンガを明確に法人化し、すべての僧に所属する寺院へ僧籍を入れさせた。この僧籍への強制入籍は最初は首都近辺で始められ、徐々に遠隔地に浸透した。このサンガ法の実効には20年を要した。1941年には、第一次ピブーンソンクラーン内閣によって仏暦2484年サンガ法に改訂され、さらに、1962年には、サリット内閣によって仏歴2505年サンガ法に改訂された。
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改訂の入った仏暦2484年サンガ法では1932年の立憲革命の影響を受けサンカラート(大僧正)の下に立法、司法、行政を置き民主主義的なものであったが、非常に効率が悪かった。とくに1958年のサンカラートの死去の時、タンマユットニカーイ出身の僧とマハーニカーイ出身の僧、どちらの僧が新たなサンカラートになるかで紛争が起こった。話し合いは2年にも及び、結局は当時のワット・ベンジャマボーピット(マハーニカーイ)の住職が新たなサンカラートになることで幕を閉じた。
しかし、国の「発展」のために民主主義よりも「効率」を最優先していた、当時の首相、サリット・タナラットにとってはこのサンガの紛争は非常に「非効率」であった。サリットはこのため1962年、仏暦2505年サンガ法を施行。それまでの民主主義的なサンガ法を否定し、より効率的に機能するように改変した。